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帰ってきたウルトラマン(22) ~一生忘れられないし、出演したことに誇りを持っています [帰ってきたウルトラマンこぼれ話2]

(前回からつづき)
聞き手;
「現場に入られて、雰囲気はいかがでしたか?」

池田氏;
「とにかく楽しかったですね。自分がウルトラマンを好きでやっているから、気持ちが凄く高揚していたのかもしれないけれど。ロケーションに行っても、遠足に行く気分。

団ちゃんはモデルからで初めてだったし、健(西田健)ちゃんもあの時は新人だし。僕はみんなより年が二つか三つ上で、東映に入って下手なりにいろいろな作品をやってたんですよね。だから団ちゃんたちも、僕のことを慕ってくれるんですよ。

この前団ちゃんにあった時に、『池田さん・・・南隊員はチーママみたいでしたね』って(笑)まさしく、そうだったかもしれない」

聞き手;
「印象に残っている作品って、ありますか?」

池田氏;
「『怪獣島SOS』ですね。あれはね、確か海岸っていうのは・・・逗子、湘南のほうかな。そこで撮影したんですけどね。やっぱり本多猪四郎監督の時は、緊張するんですよね。ミスをしちゃいかんという。そういった心構えみたいなのがあったから。

だからセリフもビシッと覚えて、NGは出さないですよ。本多先生はなんか軍人の様な人でしょ、ビシッとしていて。ロケ現場に着くとね、すたすたっと歩いて行くんですよ。どこへ行くのかなと思ったら、ロケハン(*)に行ってるんですよ」
(*)ロケーション・ハンティング;ロケをするための撮影場所を探すこと

聞き手;
「監督は、ロケハンをおひとりで?」

池田氏;
「ひとりで。当時は時間もないし予算もそんなに無かったときだから、その日に行って、現場で撮る場所を自分で見つけてやるっていうのが、多かったんですよ。あの先生は、演技もあまり細かい注意はしないんです。自由にやらせてくれる。

本当に目についたところだけは、演技指導するんですよ。ボクも一回ありましたね。第二話で、怪我をして腕を吊ってるでしょ。それで、『郷、待て!』って言って、後を追っかけようと三角巾をパッと取って行くという時にね、何気なくもう痛く無いような顔をして追いかけたら、『池田君、ダメだよ、その表情。本当に痛いっていう顔しなきゃ』って、自分でやってくれるわけ。

『視聴者にわかるような演技をしなきゃいかん。いくら自分でわかったって、観てる人が痛さを感じるような演技をしないとダメだ』と。映画と違ってテレビは画面が小さいから、痛さとか喜怒哀楽はね、はっきり出さなきゃいけないってことなんですね」

聞き手;
「第二話といえば、第一話と第二話の撮り直しってあったんですか?」

池田氏;
「ありました。1日分かな、2日分かな、全部撮り直ししました。ラッシュでみたら、フィルムにキズが入ってたらしいです。うわさだから、本当の所はわからないですけれども」

聞き手;
「あとは、『ふるさと地球を去る』ですよね」

池田氏;
「やっぱりこの話ですよね。まぁ、台本もらった時もね、難しい、後半がすごく難しいと思ってね。子供に何か強いものを・・・力を与えてやろうと思って、南隊員がマットガンを渡してね、バリバリって撃たせて。強くなった、よかったって言ったけれども、南隊員はダメだって怒ったわけですよ。

やっぱり武器だけを与えてね、子供に接したっていうことが、南隊員としてはいけなかったなって思っている。と同時に、これは違うんだよっていうことを教えたかった。だから『やめろ』って言って、怒りっぱなしじゃいけない。すぐにニコって笑って、『もういいだろう』っていう。その切り替えですよね。

数秒の間に南隊員の性格を出そうとおもって。ほんの一瞬の子供とのふれあい、人間の触れ合いっていうんですかね。それを出したっていうかな。今から考えたら、南隊員のすべてがそこにあったような気がするんです」

聞き手;
「最後に、池田さんにとって、『帰ってきたウルトラマン』とは何だったでしょうか?」

池田氏;
「一生忘れられない作品ですね。やっぱりウルトラマンというネーミング、プラス自分の誇りみたいになってますね。当時は、特撮ヒーローものっていうのは、見下げられたような雰囲気があったでしょう。今は時代が変わって、そんなことはないですからね。

『俺は誇れる仕事をやった。円谷プロで2年もやってたんだぞ。『帰ってきたウルトラマン』 『緊急指令10-4 10-10』だぞ。東映では『キカイダー01』で主役やったんだぞ』と誇りを持って言えますからね。

この作品でウルトラマンがカンバックしたから自分たちが出してもらえたんで、カンバックしてなかったら、ヒーローものに出演も無かったと思います。僕は南隊員をやっていたから、『キカイダー01』も自信を持って出来たんです。ファンの人で、南隊長をやってほしいという人がいるんですよ。

南隊員でなくて、こんどは南隊長をって。もし話があれば、Vシネマでもやりますよ!」
(おわり)


特撮ファミリー・2関連記事;http://zarabkemul.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306125875-1
★★★★★★★★★★★★
池田駿介氏の葬儀は、献花の際は『帰ってきたウルトラマン』のオープニング曲がながれ、出棺の際には『キカイダー01』のテーマ曲が流れたという、無敵超人葬であった。

演じていた当時は心の葛藤なども多分あったりして大変だったと思うが、後になって「ファンの心にいつまでも残る」というたいへん大きな副賞が送られたと思いたい。子供の時に観たもの、聞いたものは忘れることは無い。特に好きなテレビ番組は、いつまでも心に残っているものだ。

ご本人も言っているとおり、特撮ヒーロー番組は当時「ジャリ番」などと呼ばれて、出演者は卑下されていたらしい。だが時代が変わり、それらは注目を浴びる存在に変わった。ヒーローを見て育った子供達が大人になり、今度は自分の子供にそれらを語り継ぐことで、新たな力を得たかのように蘇る当時の特撮ヒーローたち。

いちど死ぬことで永遠の命を授かったのが、「我らが昭和の特撮ヒーローたち」なのである。そして池田駿介氏にも、永遠の命が与えられたのである。



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